【要約・書評】『記憶の森を育てる 意識と人工知能』を読んだ感想|神を思え。

はじめに

こんにちは、CenotenBlogです。

今回は人工知能と意識系の本です。
それがこちら。

著者は、意識とはなにかを考え続ける脳科学者である茂木健一郎先生。

本書から学んだこと

✔︎どう人間の「記憶」はコンピュータ上の「メモリ」と異なるのか。

✔︎意識は、物理的オーバーフローという、生存の条件に対する、一つの生物学的解決の結果である。

✔︎意識の本質を解明しようという際に、なぜ統計的なアプローチは無力なのか。

評価

★★★☆☆

あらすじ・内容

人類は、終わるのだろうか。知能指数40000の人工知能を前にして。答えは簡単ではないけれど、さあ、わたしたちは歩こう。話そう。そして森を育てよう。すべての記憶を土として。その上で踊る、泥だらけの生命として。『脳と仮想』から10年。意識とはなにかを考え続ける脳科学者、最新の論考。著者は、原始生命におけるおぼろげな意識の萌芽から、言語を有する人間の高度な意識状態にいたるまで、その発達を緻密に考察していきます。近い将来まちがいなく、あらゆることが人工知能にアシストされた、未曾有の文明社会が出現するでしょう。そのときわたしたちは、どのように自らの知性を磨いてゆけばいいのでしょうか。そのヒントは、記憶と意識の根源的な問題を扱ったこの本の中に、あちこち、キラリと光を放っています。

感想

ひとこと感想

我、神を思えと叫ぶ。

思ったこと・感じたこと

本書で気に入った部分はこちら。

ニーチェの『喜ばしき知識』における狂人は、「神は死んだ」と叫ぶ人だった。現代における反「狂人」は、むしろ、「神を思え」と叫ばなければならない。
ニーチェが生み出した狂人が叫んだように、本当に「神は死んだ」のであれば、わたしたちの「意識」もまた死ななくてはならない。逆に、「意識」と「神」は、宇宙の存在論的重さへの関わり方において、同じ場所を占めている。

理由はよくわからないがなぜか心に引っかかる。
この言葉は、仮に意識に価値があるとするならば、有用な言葉なのであろう。

ちなみに、本文とは関係ないが帯にあった松尾豊先生の「意識とは、記憶の連続性を自分という軸で抽象化したもの」という言葉が好き。

琴線に触れた言葉

記憶の現象学をコンピュータに喩えるのは、人工知能が急速に発達しつつある現時点においても、一種の冒瀆であり、うかつで愚鈍な思考である。

「意識は、進化という視点からのみ、その意味がわかる」
意識が成立するためには、「言語」が必須であるとする論者もいる。
しかし、意識と言語を必要以上に結びつけることは、意識をその進化論的な文脈から切り離してしまう。

意識の本質を解明しようという際には、統計的なアプローチはなぜ無力なのか。端的に言えば、意識とは、「今、ここ」の、「N=1」の問題だからである。

意識の中のクオリアという「個物」の性質は、その個物のネットワークの中の関係性によって決まる。最初から個物の性質があるのではない。むしろ、ネットワークの関係性から、個物の属性が生成されるのである。このような考え方を、それを最初に提案したオーストリアの物理学者、エルンスト・マッハに因んで、「マッハの原理」と呼ぶ。

国際的に見て、日本発の思想で流通し、それなりの力を持っているのは「禅」の思想なのかもしれない。スティーブ・ジョブズ氏に、日本の禅僧の教えが決定的な影響を与えたという事実を見ても、日本の思想的時価総額は、まだまだ「伸びしろ」を持っているのではないか。宗教的、実践的背景を持つ「禅」の思想に加えて、より緩やかなすそ野を持つ生命観、生命哲学が世界に本格的に出ていく。そんな時代は、いつやってくるのだろう。

終わり

意識とはなにかを考え続ける脳科学者である茂木健一郎先生の一冊。

茂木先生は定期的に最新の論考を書籍として出してくれるので、ありがたいの一言。

意識に興味のある人は是非読んで見てください。

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